世代を超えたバリ芸能の交流 その9

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第二夜に華を添えたもう一つの楽団「グンタ・ブアナ・サリ」は、ゴン・クビャールの曲と舞踊をいくつか披露した。
オープニングを飾ったのは1964年にイ・ワヤン・ガンドラ(I Wayan Gandra)に作曲された楽曲「クビャール・ススン(Kebyar Susun)」である。

Mengenang Sang Guru
Genta Bhuana Sari – Musicians

1960年代以降、ワヤン・ガンドラはいくつかのクビャール曲を作曲し、有能な若手作曲家として知られていた。
現在でもなお、彼の作品はバリで親しまれ、グンタ・ブアナ・サリでも頻繁に演奏されている。
イ・ワヤン・ガンドラが亡くなる数年前、グンタ・ブアナ・サリ楽団は
スカール・ジュプン(Sekar Jepun 1968)、ファジャール・ムニィンシン(Fajar Menyingsing 1966)、プナリック・ベチャ(Penarik Becak 1966)、ガンバン・スリン(Gambang Suling 1962)、スカール・ジャヤ(Sekar Jaya 1967)、ウジャン・マス(Ujan Mas 1957)、ブラタ・ユダ(Brata Yuda 1963)などの彼の過去の作品を、直接指導を受けて伝授されていた。

楽曲に続き、クビャールの舞踊も踊られた。
タルナ・ジャヤ(Teruna Jaya)とサブンガン・アヤム(Sabungan Ayam)である。

Mengenang Sang Guru
Genta Bhuana Sari – Sabungan Ayam: Oka Dalem & Made Putra Wijaya

ジョン・コーストの著書「Dancing out of Bali」によれば、サブンガン・アヤムは1951年にマリオ(Mario)とサンピ(Sampih)によって、プリ・カレラン王宮でグヌン・サリの演奏によって踊られた。またオレッグ・タムリリンガンもグスティ・アユ・ラカ(Gusti Ayu Raka)とサンピによって、プリアタン王宮での国連代表団のディナー・ショーの場で、120名の観客の目の前で初めて披露された。

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著者 : kadek ferry © f-studio
写真提供 : Doc. Mengenang Sang Guru 2007

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